久保田早紀 : Kubota Saki

久保田早紀 : Kubota Saki
Biography

久保田 早紀(くぼた さき)は、日本のシンガーソングライター。

松任谷由実や矢野顕子に憧れ、自作の曲を書き溜めていた。当時、父親が仕事でイランに赴いており、現地で人気の女性アーティストのカセットテープをよく買って来てくれていた。中近東独特のそれらの音楽を聴いていたことが、異国情緒をともなう音楽性を養うことにつながった。

久保田早紀 : Kubota Saki のアルバム

発売日 タイトル 販売元
久保田早紀 名義
1st 1979年12月8日 夢がたり CBSソニー
2nd 1980年6月21日 天界
3rd 1980年11月21日 サウダーデ
4th 1981年5月21日 エアメール・スペシャル
5th 1982年7月21日 見知らぬ人でなく
6th 1983年4月21日 ネフェルティティ
7th 1984年10月1日 夜の底は柔らかな幻
久米小百合 名義
8th 1987年11月10日 テヒリーム33 ミクタムレコード
9th 1996年2月25日 はじめの日 MMP
10th 2009年6月24日 天使のパン くめさゆり・さんびか集 ミディ

久保田早紀 : Kubota Sakiの経歴

共立女子第二中学校・高等学校を経て、共立女子短期大学文学科に入学。在学中の1978年、ミス・セブンティーンコンテストに応募する条件として、CBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)に自分の歌を録音したカセットテープを送り、一次審査に合格する(同大会には松田聖子も参加していた)。なお本人は『ミス・セブンティーンコンテスト』は主にアイドル対象のオーディションとは知らず、人前で歌う勇気が無かったことから、レコード会社の人に聴いてもらえればという目的で応募したという。なお、二次の水着審査は固辞したが、その代わりとして東京・六本木のCBSソニースタジオで弾き語りを披露することになり、そこでディレクターの金子文枝に出会う。
金子の指導の下、デビューを目指し、当時八王子市にあった実家から、23区内の短大とCBSソニーに通う日々を送る。中央線に乗車中、曲や詞を考えることが多く、のちのデビュー曲『異邦人』は八王子付近で作ったとコメントしている。
金子からは「自分としての曲や詞を見つけていこう」と言われており、自分には何が有るかと思い返したところ、父からもらったイランのアーティストの音楽テープを思い出し、また金子から「ポルトガルの演歌とも呼ばれるファドの世界が合うと思う」と勧められ、ファド歌手のアマリア・ロドリゲスの歌を聴くようになった。
1979年に短大を卒業すると、その年のうちに三洋電機がタイアップに付いてデビューが決まる。

デビュー曲の候補には『白い朝』、『夢飛行』、『25時』の3曲があり、『白い朝』はゆったりとした感じの曲だった。三洋電機の意向により『白い朝』に決定した後、CM映像がアフガニスタンで撮影されたことや、当時流行していたエーゲ海・地中海などの異国情緒などが意識されて、歌詞・曲ともに大幅なアレンジが施された。そして最終的に、音楽プロデューサー・酒井政利の判断で『異邦人』と改題され、「久保田早紀」のアーティスト名で、1979年10月1日にレコードデビューした。なお、『異邦人』には「シルクロードのテーマ」というサブタイトルが付されている。

タイアップされたカラーテレビのCMが放送されるにつれ、そのオリエンタルで神秘的な曲調や歌声に注目が集まり、じわじわと売り上げを伸ばしてブレイク。12月13日に、「ザ・ベストテン」に第5位で初登場した際にはその美貌にも注目が集まる。12月27日には第1位を獲得、1980年1月17日まで3週間連続(正月休みを挟み実質4週)で1位の座に留まり、その後3月6日まで12週の長きにわたり連続ベストテン入りする大ヒットとなった。同年12月に発表したファーストアルバム『夢がたり』もヒットし、一躍話題のニューミュージック歌手となる。

2作目のアルバム『天界』(1980年6月)では、引き続き得意のオリエンタル・エキゾチック路線を狙う。
3作目のアルバム『サウダーデ』(1980年11月)では、ファドへの憧憬から現地レコーディングを敢行し、前半の5曲(LP盤のA面)は、ファドミュージシャンたちの演奏をバックにしたポルトガル録音版となっている。

子供の頃に日曜学校に通うなど、キリスト教に親しむ環境はあったが、ポルトガルでのレコーディングから帰って来ると「もう一度教会に通ってみたい」と思うようになったという。
1981年の『オレンジ・エアメール・スペシャル』は、これまでとは曲調をがらりと変えた、夏らしいポップな曲で、キリンオレンジのCMにも採用された。